谷崎潤一郎

2017年9月 3日 (日)

谷崎潤一郎「天鵞絨の夢」(3) 作品のモデル

10/22の朗読会に向けて、谷崎潤一郎「天鵞絨の夢」や朗読会情報をお伝えする記事、第3弾です。
今回は、本作の登場人物のモデルである、上海のハードン夫妻について書きます。

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実在のモデル?

第1弾の紹介記事であらすじを読んだ方はご存知の通り、「天鵞絨の夢」は耽美主義的で怪奇幻想風の物語です。

何しろ、富豪の温秀卿とその妻妾の「女王」が、湖のほとりの人工楽園のような豪邸に住み、人さらいの手から美少年や美少女を贖っては監禁同然の奴隷にしているわけですから……。

このインモラルな温夫妻に実在のモデルがあったというと、驚く人が多いかもしれません。

長い間、「天鵞絨の夢」における中国趣味には、大正7年の中国旅行の影響が顕著でありながらも、小説の内容自体は谷崎の自由奔放な空想の産物だと考えられてきました。

しかし、どうやら谷崎はここから着想を得て参考にしたに違いないというモデル人物が、最近の研究で明らかになっているのです(林 茜茜「谷崎潤一郎が中国へ投射したもの : 「天鵞絨の夢」を視座にして」『比較文学』 59, 96-110, 2016)。

ハードン夫妻

そのモデルと目されているのがハードン夫妻、ユダヤ人のサイラス・アーロン・ハードン(Silas Aaron Hardoon, 1851-1931)と、その妻で中国人のリーザ(Liza Roos, 1864-1941)です。

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ハードンは20世紀初頭の上海で活躍したユダヤ人不動産王。

オスマン朝の首都バグダードの貧困家庭に生まれ、のちムンバイで育ちます。

一家で上海に移住、英国系大財閥の一つサッスーン商会に雇われたところすぐさま頭角を現し、阿片貿易などに従事し莫大な利益を上げました。

1883-85年の清仏戦争中に不動産投資に大成功。

1901年には自社商会を設立し不動産王の名をほしいままにします。

清朝の皇族に近づき、革命後は新政権の有力者と親交を深めるなど、時の権力者との結びつきにも抜かりなく、アジアのみならず世界有数の大富豪となりました。

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妻のリーザ・ルースは、フランス人の父と中国人の母の間に生まれた女性。

敬虔な仏教徒でしたが派手好きで、宝石類のコレクションなど豪奢な生活を好む人だったようです。

この二人が、上海租界の富豪である温秀卿とその妻(あるいは妾なのか作中では曖昧ですが)のモデルに当たるのではないか、というわけです。

多くの孤児を養子に

ハードン夫妻には実の子供がなく、二人は1904年頃から中国人、ユダヤ人、白系ロシア人などの孤児たちを次々と養子にして引き取りました。

その数は総勢20名にも上ります。

このことは「天鵞絨の夢」を読んだ人ならピンと来ると思いますが、「上海あたりで生れた日本人、支那人、印度人、猶太人、葡萄牙人」と、さまざまな人種の中から容貌の優れた子供や若者を買い取り、奴隷にしていた温夫妻という設定の発想源となった可能性が高いのです。

もちろん、実在のハードン夫妻が養子たちを奴隷扱いし虐待していた、などというわけではありません。

富豪が多様な人種の子供たちを養子にして……という事実が、谷崎の創作心を刺激し、そこに独特の空想を加えた結果「少年少女の奴隷」という創作に至ったのではないか、ということです。

ハードン・ガーデンと西湖の別荘

1909年、ハードン夫妻は上海に豪華な庭園つきの邸宅を完成させます。

庭園には妻の名を一字取って「愛儷園」と名付けられました。

園内には風雅な名前の付けられた山や池、塔や楼閣や東屋などがあり、地元の人々は「哈同園」(ハードン・ガーデン)という愛称で呼んでいました。

1919年刊行の日本語ガイドブック『上海案内』にも、この庭園のことが名所として紹介されています。

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夫妻はまた、杭州の西湖にも「羅苑」という別荘を持っていました。
しかし、西湖の景観を乱す形で建てられたこの白亜の豪邸は、世間から非難の的となり、ハードン夫妻が実際に住むことはほとんどなかったといいます。

これらの事実は、「天鵞絨の夢」の設定に直接関わってきそうな事実です。
先に挙げた研究論文の林氏によれば、谷崎が中国旅行に行った1918年はちょうど羅苑の是非が議論されていた時期であり、現地でこの話題を耳にしたり、実物を見た可能性は非常に高いとしています。

なお、谷崎の後を追うようにその三年後中国旅行に出かけた芥川龍之介は、「江南游記」(1922)の中で羅苑とおぼしき建物に言及し、「金持の屋敷らしい、大きいだけに俗悪な」とにべもなくけなしています。

モデルから創作へ

こうして実在のハードン夫妻の生活と「天鵞絨の夢」を見比べてみると、谷崎が彼らを小説のモデルにしたのではないかという林氏の説には、相当な説得力があります。

そして、もし事実その通りだったとすれば、谷崎は非常に面白いやり方で現実の人間を変形し、途轍もない奇想を加えてあの幻想怪奇譚を作り上げたということになるでしょう。

おそらくハードン夫妻は、自分たちが日本人作家による小説のモデルにされているなど知る由もなかったでしょうが、それは言ってみれば大正期だからできたことであり、現代のような情報化社会において果たして同じことができるだろうか……と考えてみると、なかなか興味深いものがあります。

10/22朗読会では、第一部の朗読劇のあと、第二部のトーク「谷崎潤一郎の人工楽園」でこういった解説もいたします。

ぜひともお運びくださいませ。

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朗読会「天鵞絨の夢」

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水辺に建つ白亜の館、それは綺想の楽園にして「女王」の魔睡の褥だった――

第一部:朗読劇『天鵞絨の夢』より「第一と第二の奴隷の告白」(鏡谷眞一)
第二部:トーク「谷崎潤一郎の人工楽園」(坂本葵)

10/22(日) 17:00-19:00
猫々文庫(東京都杉並区)
料金1500円、抽選申込制、定員15名

※申し込みはこちらから(Googleフォームが開きます)

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新装復刊『天鵞絨の夢』

この朗読会に合わせて、谷崎潤一郎『天鵞絨の夢』(大正9年天佑社)を、個人出版(藍色手帖)にて新装復刊しました。

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A5並装112頁、解説付き。表紙はG.バルビエの挿絵を元に新制作しました。

当日の会場にて(定価1000円)、もしくはクラウドファンディング経由で入手できます。

ご来場予定のない方には、郵送も選べるクラウドファンディングがお勧めです。

2017年9月 2日 (土)

谷崎潤一郎「天鵞絨の夢」について(2)

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10/22の朗読会に向けて、谷崎潤一郎「天鵞絨の夢」や朗読会情報をお伝えする記事、第2弾です。

今回は朗読会のこと。演出や稽古の舞台裏について紹介します。

作品研究

まずは作品を徹底的に読み込み、研究するところから始まります。

『谷崎潤一郎全集』(中央公論社刊)を底本として「天鵞絨の夢」原典を精読。

本作は大正8年11月~12月にかけて朝日新聞に連載されたのですが、その連載初出時と、のちに単行本化したときの文章にはかなりの異同があります。
こういう細かい点も逐一チェック。

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そして、「天鵞絨の夢」について書かれた研究論文にも目を通します。

そのほか、オリエンタリズムやマゾヒズムなど本作の主題に関係するあらゆる文献。

こういった資料は演出の私(坂本)だけでなく、出演者の鏡谷さんにも送って読んでもらっています。

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演出プラン

「天鵞絨の夢」は未完作品であるため、現行のテクストを一字一句そのまま朗読するわけにはいきません。

そこで、設定に難があるとされる発端(プロローグ)部分は適宜脚色する代わりに、少年と少女奴隷の物語を原典通り忠実に読んでいく方針にしました。

奇妙な閉鎖空間に置かれた、少年と少女との切なくも美しい恋の物語をどう表現するか?

様々なアイデアを出しつつ、役者とも話し合いながら決めていきます。

壮大で複雑な構造の館を舞台にした物語なので、こんな風に見取り図や人物関係図のメモを作ることも……。

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万事が順風満帆とは行きません、私が徹夜で書いた脚色台本を一瞬で却下されたこともあります(苦笑)。


朗読の稽古

役者は毎日自主稽古をしていますが、私と実際に対面できる機会は限られているため、やりとりは遠隔稽古がメインです。

鏡谷さんに読んでもらった録音音声を聞き、抑揚や間合いなどを坂本が細かくチェックして指示を出します。

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指示の内容は、各パートの朗読にかかる時間をストップウォッチで測って「ここは間合いを3割減に」とか「××分以内に収めてください」といった数値的なものもあれば、
「焦燥感が足りてないです」
とか、
「もうちょっと春琴抄の佐助みたいな感じにできませんか」
とみたいなことも要求します。

もちろん、鏡谷さんの方から「ここはこうしたら」という相談や提案をもらうこともあります。

考えて、話し合って、実際やってみて……。とにかくこの試行錯誤の繰り返しですね。

照明、音響、衣裳、小道具など

朗読なのでいわゆる「演劇」とは少し違いますが、ただ何の工夫もない一室に椅子だけを置いてやればいい、というものではありません。

照明や音響には工夫をこらす必要があり、衣裳や小道具なども揃えなければなりません。

骨董屋や蚤の市などへ行き、中国風のものを探してきます。

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おわりに

このように日々稽古をしたり、公演のための準備を進めております。

「へぇ、朗読会ってこんな感じでやるのか」というイメージを持って頂けましたら幸いです。

ご興味のある方は、ぜひ10/22の公演へお運びくださいませ。

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朗読会「天鵞絨の夢」

水辺に建つ白亜の館、それは綺想の楽園にして「女王」の魔睡の褥だった――

第一部:朗読劇『天鵞絨の夢』より「第一と第二の奴隷の告白」(鏡谷眞一)
第二部:トーク「谷崎潤一郎の人工楽園」(坂本葵)

10/22(日) 17:00-19:00
猫々文庫(東京都杉並区)
料金1500円、抽選申込制、定員15名

※申し込みはこちらから(Googleフォームが開きます)

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新装復刊『天鵞絨の夢』

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この朗読会に合わせて、谷崎潤一郎『天鵞絨の夢』(大正9年天佑社)を、個人出版(藍色手帖)にて新装復刊しました。

A5並装112頁、解説付き。表紙はG.バルビエの挿絵を元に新制作しました。

当日の会場にて(定価1000円)、もしくはクラウドファンディング経由で入手できます。

ご来場予定のない方には、郵送もできるクラウドファンディングがお勧めです。

谷崎潤一郎「天鵞絨の夢」について(1)

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谷崎潤一郎「天鵞絨の夢」(大正八年)は、中国を舞台とする怪奇幻想文学です。

このたび、文豪カフヱ「谷崎潤一郎びより」にて、10/22(日)に役者の鏡谷眞一さんをお招きして朗読会を開くことになりました。

そこで、この作品の魅力や朗読会情報についてお伝えしていきたいと思います。
本記事はその第1弾です。

「天鵞絨の夢」とは

杭州・葛嶺山麓の湖のほとりにそびえる白亜の家。

はるばる日本からやって来て杭州を旅する「私」は、それは温秀卿という上海の富豪の別荘だと教えられるが、実はその邸は、温氏とその妻である「女王」が数多の奴隷を「歓楽の道具」として弄んでいる魔窟だった――。

この露見が発端となり、邸から脱出できた少年少女の奴隷たちが次々と秘密を告白してゆき、温氏夫妻の世にも不思議な頽廃的生活と、まるで人口楽園のごとくきらびやかな悪の城の機械仕掛けが明らかにされていく。

「まるでお伽噺にあるやうな宮殿だの庭園だのを包んで居るあの白壁の家の秘密――それを詳しく話したら、恐らくアラビアン、ナイトのやうな奇妙な物語が出来上るに違ひない」(本文より)
とあるように、谷崎が目指したのは、大正版中国趣味のアラビアン・ナイトだったのでしょう。

ユートピアともディストピアともつかぬ人口楽園という意味では、江戸川乱歩の「パノラマ島奇譚」の先駆的存在でもあり、谷崎らしい異国趣味と妖しさに満ちあふれた小説です。

美しき未完作品

しかしながら、実はこの「天鵞絨の夢」は未完作品なのです。

草稿段階でのタイトルは「十人の奴隷の告白」で、十人もの奴隷たちに順番に語らせ、その断片をつなぎ合わせることで館の途方もなく壮大な秘密が明らかになる、といった展開を構想していたようです。

けれども三人目の奴隷の告白を書き終えたところで中断してしまい、谷崎が結局この作品を完成させることはありませんでした。

未完作品ということで、谷崎文学の中ではマイナーな部類に属する小説で、あまり多くの人に読まれてはいません。

ですが、完結していないという点や設定上の瑕疵を脇に置き、三人の奴隷たちの告白だけを読めば、まるで宝石の原石のように美しく、水と鉱物質系の綺想に満ちた幻想小説だということが分かります。

とりわけ、「第一の奴隷」とである美少年と「第二の奴隷」の美少女の物語が、青い水と光の煌めきに満ちていること!

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「女王」と呼ばれ館に君臨している温氏の妻は、水底がガラス張りになっている池をこしらえ、そのガラスの下に秘密の洞窟を持っています。

このことは夫にすら内緒で、お気に入りの美少年奴隷を侍らせて阿片を吸って愉しむための隠れ家にしているのですね。

洞窟の外の世界を全く知らない少年奴隷は、無垢な心で女王を崇拝しています。

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一方で女王は、池の中でこれまた寵愛している美少女の奴隷を泳がせ、その姿を眺めて愉しんでいます。

問題は、ある日とうとうガラス越しに、水中で泳ぐ美少女と地下洞窟の少年が出会ってしまったことです。

一目見て惹かれ合い恋に落ちた二人ですが、厚いガラスの壁と水に阻まれて、お互いに触れることも名前を聞くことすらもできません。

この透明な壁に隔てられた少年と少女の恋が何とも美しく痛切なのです。

朗読会という試み

そこで、今回の朗読会では、この少年と少女の語りである「第一・第二の奴隷の告白」を中心に据えることにしました。

設定に難があるとされる発端(プロローグ)部分は適宜脚色する代わりに、少年と少女の物語を原典通り忠実に読んでいきます。

朗読を担当するのは、役者の鏡谷眞一さんです。

オスカー・ワイルドやダンヌンツィオなどの世紀末耽美文学、サイレント映画に造詣の深い鏡谷さん。きっとこの「天鵞絨の夢」の妖しくメタリックな美しさを引き出しつつ読んでくれるに違いありません。

2時間の朗読会のうち、第一部の朗読劇は1時間強、残りの1時間弱が第二部の解説「谷崎潤一郎の人口楽園」(坂本)となります。

谷崎作品の朗読はこれまでに数あれど、「天鵞絨の夢」の朗読という初の試み。

どうぞ皆様、この朗読会へお運びくださいませ。

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朗読会「天鵞絨の夢」

水辺に建つ白亜の館、それは綺想の楽園にして「女王」の魔睡の褥だった――

第一部:朗読劇『天鵞絨の夢』より「第一と第二の奴隷の告白」(鏡谷眞一)
第二部:トーク「谷崎潤一郎の人工楽園」(坂本葵)

10/22(日) 17:00-19:00
猫々文庫(東京都杉並区)
料金1500円、抽選申込制、定員15名

※申し込みはこちらから(Googleフォームが開きます)

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新装復刊『天鵞絨の夢』

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この朗読会に合わせて、谷崎潤一郎『天鵞絨の夢』(大正9年天佑社)を、個人出版(藍色手帖)にて新装復刊しました。

A5並装112頁、解説付き。表紙はG.バルビエの挿絵を元に新制作しました。

当日の会場で(定価1000円)、もしくはクラウドファンディング経由で入手できます。

ご来場予定のない方には、郵送も選べるクラウドファンディングがお勧めです。

2016年11月 7日 (月)

谷崎潤一郎の柿の葉鮨

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谷崎潤一郎が愛した、吉野の郷土料理「柿の葉鮨」。
海のない吉野の山奥に運ばれてくる塩漬けの鮭、それを爽やかな柿の葉でくるんで新鮮さを味わおうという、吉野の人々の知恵と工夫が込められた料理です。

さて、今年5月に出版された拙著『食魔 谷崎潤一郎』(新潮新書)の巻末附録に、「陰翳礼讃」の柿の葉鮨のレシピを載せたところ、その製法について詩人の関口涼子さんがSNSでいくつかの疑問を呈されました。
新書では紙数に制約があり、「陰翳礼讃」の記述を要約するに留まったのですが、この機会に柿の葉鮨について詳しく補足説明をしておきたいと思います。
関口さんから頂いたご指摘と合わせ、多くの人が「あれ?」と不思議に思う点を解説します。

レシピ

まず、谷崎が「陰翳礼讃」で柿の葉鮨についてレシピを記述している部分の要約です。

  1. 米一升につき酒一合の割でご飯を炊く。
  2. ご飯が炊けたら完全に冷えるまで冷ましたあと、手に塩をつけて固く握る。このとき、手にちょっとでも水気があってはいけない。塩だけで握るのが秘訣。
  3. 鮭のアラマキを薄く切り、それを飯の上にのせ、その上から柿の葉の表を内側にして包む。柿の葉も鮭も、あらかじめ乾いたふきんで水気を拭き取っておく。
  4. それが出来たら、容器(鮨桶など)の中をカラカラに乾かしておいて、隙間のないように鮨を詰め、押蓋をかぶせた上から重し(漬物石など)を載せる。
  5. 夜漬けたら翌朝あたりからたべることができ、その日が最も美味だが、二~三日は食べられる。食べる時に蓼酢(たです)をつけるとおいしい。

(※原文は末尾に掲載)

文献

次に、谷崎の柿の葉鮨を実際に再現した上で詳しく述べている文献を紹介しましょう。

四方田犬彦『ラブレーの子供たち』(新潮社、2005年) 所収「谷崎潤一郎の柿の葉鮨」
 →レシピに基づいて著者自身が調理。

上野誠「谷崎潤一郎先生の柿の葉鮨談義」 『芸術新潮』2015年12月号特集「谷崎潤一郎の女・食・住」
 →柿の葉鮨の老舗平宗(ひらそう)に依頼。ご主人の平井宗助氏と、「平宗別館 倭膳たまゆら」料理長の盛田慎吾氏が調理。

疑問その1. 鮨なのに酢を入れないの?

このレシピでは、炊き上がったご飯に酢も砂糖も入れず、酒を加えるだけ。
谷崎が紹介しているのは発酵させるタイプの古い製法なので、酢は必要ないのです。
しかし、これは上野氏が指摘していることですが、その製法ならば本来は熟(な)れ鮨のように時間をかけて発酵させるはずなのですが、「陰翳礼讃」では一夜漬けと書かれているのがやや気になります。
そういう製法と食べ方の組み合わせを、谷崎は吉野の人から教わったということなのでしょう。

疑問その2. 乾いた手で握ったら手に米粒がついてしまうのでは?

「水気のない乾いた手で、塩だけで握るのがコツ」と谷崎は書いていますが、普通にやると手が米粒だらけになってしまいます。よほど塩まみれにする必要がありそうです。

疑問その3. どのくらいの分量ができるの?

米1升=10合=1.5kgですから、ご飯20膳分くらい炊けます。
昔の大所帯で数日かけて消費するための分量であり、今時の標準的な家庭には多過ぎますね。
実際に作ってみる場合は分量を加減した方がよいかもしれません。

疑問その4. "蓼の葉で酢をふりかける"とは?

これは、蓼(たで)の葉に酢をくぐらせて振りかけるという意味でしょう。蓼のピリッとした風味がほのかに酢に移るのでしょうね。鮎の塩焼きにかける蓼酢というものがありますが、こちらは蓼をすりつぶすのでそういう意味ではなさそうです。
ただいずれにせよ、吉野の伝統的な柿の葉鮨では「蓼の葉で酢をふりかける」という食べ方はしないので、これは谷崎独自の食べ方だと思われます。

疑問その5. 結局、どんな味がするの?

「素朴といえば素朴、うま味がないといえばうま味がない。えっこれが……という味だった(平井さん、ごめんなさい)」
「酢飯ではないため、鮭のお握りに近いような味」

と、上野氏/芸術新潮編集部は結構率直に、辛口なことを書いていますね。
しかし酢飯の鮨が主流となった現代では、そう感じるのも当然です。
そもそも柿の葉鮨というのは、吉野の山奥に運ばれてくる塩漬けの鮭が、そのままだとしょっぱすぎるため、薄く削いでご飯の上にのせて食べるようになったのが起源です。
そんな素朴な郷土料理であったことを考えれば、「鮭のお握り」というのはあながち的外れな感想ではないでしょう。

そして四方田氏は、

「柿の葉鮨の単純にして素朴な風味は、谷崎が好んで描いてきた、重厚で粘液質をもった食物の宇宙のなかで、珍しくも清涼感に満ちた例外であるように思われる。まだ冷房装置もなかった酷い夏を、47歳の小説家はこの鮨を食べながら過ごし、遠い中世に思いを寄せていたのだろう」

と、その素朴さがあくどく濃厚な谷崎グルメの中ですがすがしい異彩を放っていること、谷崎が柿の葉鮨の中に、今はもう失われた吉野の「中世」を見出していたであろう、と指摘しています。

谷崎にとって柿の葉鮨とは「制約の中での生活美」の象徴であり、ひいては、彼の理想とする日本の美しさを象徴する風物の一つであったのかもしれません。

(以下に「陰翳礼讃」からの引用を載せておきます。改行がないため読みにくいかもしれませんが、原文通りですのであしからず…)

原文「陰翳礼讃」(昭和8年)より抜粋

先だっても新聞記者が来て何か変った旨い料理の話をしろと云うから、吉野の山間僻地の人が食べる柿の葉鮨と云うものの製法を語った。ついでにこゝで披露しておくが、米一升に付酒一合の割りで飯を焚く。酒は釜が噴いて来た時に入れる。さて飯がムレたら完全に冷えるまで冷ました後に手に塩をつけて固く握る。この際手に少しでも水気があってはいけない。塩ばかりで握るのが秘訣だ。それから別に鮭のアラマキを薄く切り、それを飯の上に載せて、その上から柿の葉の表を内側にして包む。柿の葉も鮭もあらかじめ乾いたふきんで十分に水気を拭き取っておく。それが出来たら、鮨桶でも飯櫃でもいゝ、中をカラカラに乾かしておいて、小口から隙間のないように鮨を詰め、押蓋《おしぶた》を置いて漬物石ぐらいな重石《おもし》を載せる。今夜漬けたら翌朝あたりからたべることが出来、その日一日が最も美味で、二三日は食べられる。食べる時にちょっと蓼の葉で酢を振りかけるのである。吉野へ遊びに行った友人があまり旨いので作り方を教わって来て伝授してくれたのだが、柿の木とアラマキさえあれば何処でも拵えられる。水気を絶対になくすることと飯を完全に冷ますことさえ忘れなければいゝので、試しに家で作ってみると、なるほどうまい。鮭の脂と塩気とがいゝ塩梅に飯に滲み込んで、鮭は却って生身《なまみ》のように柔かくなっている工合が何とも云えない。東京の握り鮨とは格別な味で、私などにはこの方が口に合うので、今年の夏はこればかり食べて暮らした。それにつけてもこんな塩鮭の食べかたもあったのかと、物資に乏しい山家の人の発明に感心したが、そう云ういろ/\の郷土の料理を聞いてみると、現代では都会の人より田舎の人の味覚の方がよっぽど確かで、或る意味でわれ/\の想像も及ばぬ贅沢をしている。

2015年5月10日 (日)

谷崎潤一郎 美味礼讃フルコース

本日、中央公論新社より、新装版『谷崎潤一郎全集』が刊行されました。

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谷崎全集はこれまで中公から3度刊行されていますが、今回初めて新漢字(旧かな)を採用、未収の創作ノートなど新資料が含まれ、新たな決定版となりそうです。
装幀ミルキィ・イソベ、装画山本タカトという耽美で妖しい造本も魅力。箱背表紙のモチーフは巻ごとに変わるという贅沢さ! 第1巻は「刺青」にちなんで女郎蜘蛛です。

(ちなみに、昭和56年の旧版はこんな感じでした。うちにあるボロボロの↓)

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さて、刊行記念ということで、谷崎イヤーを盛り上げたいというファンの気持ちから、今夜ひとりで勝手に谷崎祭りをやることにしました!
題して「谷崎潤一郎 美味礼讃フルコース」。
「細雪」「卍」など、谷崎作品をイメージした料理を前菜からデザートまで作ってみる、という食い意地の張った企画です。

谷崎の美食小説と言えば「美食倶楽部」。そして、実生活の食通ぶりは渡辺たをり『花は桜、魚は鯛』に詳しい。が、谷崎が通ってたような高級料亭に太刀打ちできるわけないので、「普通の主婦(夫)がちょっと頑張れば作れる谷崎的グルメ」が今回のコンセプトです。

おしながきはこちら↓

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それでは、写真つきで紹介していきましょう!

§食前酒 アメール・ピコン

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谷崎がお気に入りだったピコン。アルジェリアの薬草をヒントに作られ、フランスで1837年発売された薬草系リキュール。ほろ苦いオレンジ風味が特徴です。

当時はなぜかピコンに媚薬効果があると信じられており、谷崎もそのつもりで二番目の妻・丁未子と共に愛好していた模様。

「能率の上がらないのは決してぴこんのためにあらず」
「丁未子ハ『ピコン』以外に何の仕事もなく退窟の体」
 (谷崎から妹尾宛書簡、昭和6年)

ここでの「ピコン」はもちろん隠語ね。先生、何やってるんですか……。

§「細雪」風 四姉妹の前菜

 鶴|干しいちじくと黒胡麻豆腐
 幸|テリーヌとパイナップルの冷製酢豚
 雪|白桃の生ハム包み
 妙|桜海老、マスカルポーネ、アボカドのムース

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「細雪」の美しき四姉妹から連想した前菜四種。いずれも果物を使っています。

「鶴」は、干しいちじくに黒胡麻豆腐を合わせ麹味噌たれで。
「幸」は、テリーヌを使った変わり種の冷製酢豚。幸子のモデルとなった谷崎の妻松子→松→パイン→酢豚、という連想です。
「雪」は、ミステリアスな三女雪子をイメージした、白桃の生ハム包み。レモンと黒胡椒の隠し味。
「妙」は、桜海老、マスカルポーネ、アボカドのムース。末娘のいとさんらしく、みずみずしい色づかいと食感を意識しました。

【ちょっと一言】
テリーヌは、代官山のターブル・オギノがお勧めです。ハム、パテ、テリーヌなどの肉加工品のことを「シャルキュトリー」(Charcuterie)と総称するのですが、オーナーシェフの荻野伸也さんは、日本におけるシャルキュトリーの専門家で五本の指に入る方ではないでしょうか。『シャルキュトリー教本』という本格料理本もあり。すごい本です。

§「卍」風 蛤のスープ

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卍の百合世界をイメージした蛤のスープです。(きゃっ…)
蛤はおすましにするのが普通ですが、水草じゅんさいを入れてぬめとろ感たっぷりに。(あらやだ…)
隅っこの茸ですか? これはとってもご立派な大黒本しめじ。(ほら、ヒロインには一応夫がいて光子と三角関係になるから、的な)

奥様ご覧になって! 大黒本しめじって、こーんなにおっきくってカワイイきのこなんですのよ!

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…もう、あからさまに色々とやばいスウプ。ひとひら浮かべた柚子だけが、かろうじて爽やかな風味をもたらします。

§「陰影礼賛」風 和野菜のサラダ

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谷崎って肉食系なのでサラダは無くてもいいかなと思ったんですが(笑)、野菜がないと辛いので入れました。「陰翳礼讃」と言えば日本美。水菜、蕪、紅しょうが、黒豆などの和野菜を屏風絵のように盛り付け、山葵醤油のドレッシングで。

§「春琴抄」風 蒸し鶏の絢爛ソース

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美しく気性の激しい春琴をイメージして。広東式の蒸し鶏と、北米ターキー料理のクランベリーソースを掛け合わせました。上の写真はちょっとブレましたが、一番エロティックな角度から撮ったつもり。

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なお、クランベリーソースをじっくりコトコト煮込み中の写真がこちら。
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§「人魚の嘆き」風 鯛のポワレ、キャビア添え

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和風ビアズリーと称される水島爾保布の耽美挿絵で有名な、「人魚の嘆き」をモチーフに。黒キャビアを泡と涙に見立てています。東洋感のある、黄色いサフランソースで。

§パン/ご飯

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これは特に由来とかないです。淡々と、パン、ご飯です。各自好きな方を取ること。

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§「痴人の愛」風 お茶菓子

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食後のお茶とお菓子は「痴人の愛」風! 最後まで自重しないのが谷崎クオリティ!! 珈琲・紅茶と一緒に、「バーチ・ディ・ダーマ」と「ヴィーナスの乳房」を。

Baci
バーチ・ディ・ダーマ(Baci di Dama)は、イタリア語で「貴婦人の口づけ」。ピエモンテ地方の伝統菓子です。なおこれは手作りではなく、C3(シーキューブ)のサクッチ・ホロッチを買ってきたもの。

Venere
ヴィーナスの乳房(Capezzoli di Venere)は、映画「アマデウス」でもおなじみ(サリエリがモーツァルトの妻に勧めていたお菓子)。本来はマロン・グラッセの砂糖がけですが、KIHACHIのポルボローネに苺ジャムを乗せてみました。

……谷崎先生って、こういうのすごく好きそうじゃない? バーチ・ディ・ダーマも名前だけで昂奮しながら夢中で貪りそう。

ちなみに、映画『紅閨夢』(武智鉄二、1964)では、芝山千之丞演ずる谷崎が、常に舌なめずりしながら美味しいものを食べまくる(そして最後にはお腹を壊す)品のない映像をたっぷり堪能できます。
「過酸化マンガン水の夢」「柳湯の事件」を脚色・映像化したものですが、谷崎本人は怒って「あんな下らないものは観ません」と公言してたらしい。(観てないのになぜ「下らない」と分かるのか謎ですよね…)

以上で「谷崎潤一郎 美味礼讃フルコース」はおしまいです!

品数が多いのでレシピは省略しましたが、もし知りたい料理などありましたら、遠慮なくコメント欄(もしくはTwitter)でご質問どうぞ。

2015年4月 5日 (日)

「谷崎潤一郎展」ワークシートを解いてみた

神奈川近代文学館で開催中の「谷崎潤一郎展」。
展覧会全般に関してはこちらの記事で詳しく紹介しておりますので、よろしければご参照ください。

さて、展示会場の入り口に「ワークシート」という一枚の紙が、鉛筆と共に置かれていました。「ああ、ミュージアムでよくある子供向けの教育用クイズね」とその時は思い、まずは展示を集中して見たかったので、シートは鞄の中にしまいました。結局、充実した展示を一通り見るだけで結構な時間が掛かり、シートには手をつけずじまい。

ところが、帰りの電車の中でふと思い出し、シートを取り出してみたところ……
何これ。ぜんぜん子供用じゃなかった! やたら難易度高い! マニアック!!
と驚愕したわけであります。以下がそのワークシートの現物です(クリックで画像拡大)

Photo_3

いかがでしょう? これ正直なところ、大学で国文学を専攻している学生にすら難しいんじゃないかと。もちろん「展示を見ながら答えを探そう」という使い方なのですけれども、いやいや、あの多岐に渡る展示物の中からこの20問の答え全部を探してくるのって、それなりにリテラシー(およびある程度の前提知識)が要求されると思うんですよ……。

念のため、知り合いの谷崎研究者にも見せて尋ねてみたんですが、
「これ難しすぎるよ」
やっぱりー!!

どういう層を想定して作られているのか分かりませんが、個人的には、谷崎のファンか修士院生以上の研究者でないと難しいんじゃないかな? と思いました。

すごい……すごいよ、神奈川近代文学館……! いい意味でぶっ飛んでるよ。こんな、谷崎ファンにとっては狂喜乱舞もののマニアックな問題つくってくれるなんて……!!

というわけで、わたくし、この問題にトライしてみました。
先述の通り、本来はあくまで「展示を見ながら答えを探して書き込む」式のシートなのですが、甘くみて手をつけずに持ち帰ってしまったため(笑)、見てきた展示の記憶を頼りに解いてみます。

答え合わせについては、正式な解答例は展示会場の出口に置かれています。が、これも見てこなかったため、上記の谷崎研究家の先生に採点していただきました。(口頭でコメントされたことを、私が赤で書き込んでいます)
それでは、解答→赤ペンで丸つけした結果を以下に示します。
(※これから展覧会へ行く予定のある方にとっては一種のネタバレ?になりますので、自己責任で閲覧して下さい。クリックで拡大画像が表示されます)

__2

やばい……。先生の採点が、輪を掛けてマニアックだった!!
マルのところはさておき、△や×を貰ったところがどんな感じになっているか、ちょっと見てみましょう。

【問7】 関東大震災で横浜の自宅を失った谷崎はどこへ移り住んだでしょうか?

私: これどの程度細かく答えればいいんですかね? あと、谷崎ってしょっちゅう引っ越ししてるからいつの時点かって話にもなりますよね。うーん……。解答「ざっくり言うと関西、細かく言うと京都、その後兵庫の岡本」。どうでしょう先生?
先生: こういう時は「阪神間」と答えるのがベストです。
私: (なにその万能感あるスマートな解答……!)

【問11】 谷崎は大恋愛の末、1935年(昭和10)に松子と3回目の結婚をします。谷崎はどういう言葉で松子に思いを告白したでしょうか。

私: え、これどうやって解答すれば……? まさか、この小さな欄に谷崎の恋文の内容ぜんぶ書くわけにいかないですよね。とりあえず、キーワードだけ上げとけばいいですか? 解答「御寮人様/主従/茶坊主/奉公人」
先生: 「お慕い申し上げております」 一言でいうならこれでしょう。

 

【問13】 谷崎が松子、重子姉妹に送った手紙の中で一番長い手紙の長さは?

私: 去年公開された手紙のことですよね。「手紙の長さ」って、文字数なのか物理的な紙の長さなのか、メートルなのか尺や寸なのか、答えの単位がよく分からないんですけど、紙の長さ(メートル)でいいんですかね。3メートルくらいでしたっけ?
先生: 8メートルじゃなかった?
私: (ネット検索する)→3.75メートル、だそうですよ。
先生: そうだっけ。
※先生でも間違うほどのマニアックすぎる問題

【問16】 晩年の谷崎は京都から熱海に移り住みますが、1959(昭和34)年に発表した「夢の浮橋」では口述筆記の方法をとりました。どうして口述筆記を行ったのでしょう。

私: 解答「長年の酷使により右手を痛めていたため」。
先生: 前半は違うよ。高血圧が原因ですよ、あの人いっぺん倒れてるから。
私: でも展示パネルにはこう書いてありましたよ。ほら、文学館の公式サイトにも「永年酷使した右手の痛みに悩まされ」って。
先生: それは違うんじゃないかな。
※そんな細かい学説上の見解の相違を私に言われても困りますので、文学館の方へどうぞ

【問18】 谷崎が死の直前に構想していた物語の若い女主人公の名前は?

私: 解答「魑魅子(ちみこ)」。
先生: フルネームじゃなきゃ駄目だよ。「御菩薩(みぞろ) 魑魅子」
私: (マジかよ……! 解答ハードルの高さ半端ねぇ)

【問19】 谷崎は死に瀕していた時、何と言って起き上がろうとしましたか。

私: これ展示では「僕は小説を書かねばならない」的な言葉が紹介されていました。でも松子夫人の手記では「これじゃ僕は死んじまうよ」とか書いてありましたよね。どっちが正しいんですか?
先生: 「僕は東京に行かなければ」という説もある。人間、死ぬ前にはいろんなこと口にするでしょ。
私: (……!!)

【問20】 京都・法然院の谷崎の墓に植えられている木は?


私: あのー私、生きてる谷崎にしか興味ないんですね。申し訳ありませんが墓とかほんと興味ないんです。まして、墓に植えられてる木なんて知りません。なので適当に答えますけど、今日は桜が綺麗だったし「桜」でいいや。
先生: 私も知らんけど、谷崎だから松なんじゃないの。
私: (展覧会図録を見る)→桜、だそうですよ。
先生: ……。
※やっぱり先生でも間違うほどのマニアックすぎる問題

――いやあ、濃かったー!! 研究者も苦戦するスーパーマニアック谷崎ワークシート!
皆さんもぜひ解いてみて下さい。

2015年4月 4日 (土)

谷崎潤一郎展ノススメ(神奈川近代文学館)

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「没後50年 谷崎潤一郎展 絢爛たる物語世界」が、神奈川近代文学館で始まりました(4月4日~5月24日まで)。昨年11月には288通に及ぶ未公開書簡の発表、そしてつい先日の「春琴抄」「細雪」創作ノート印画紙の発見など、新資料の発掘で話題となっている谷崎潤一郎です。本展は、これまでの谷崎研究の粋を集めた回顧展覧会。

私は昨日(4月3日)オープンに先立って行われた内覧会に参加してきましたが、「素晴らしい!」の一言。自筆原稿、友人たちや家族と交わした書簡、写真、挿画の原画、生前愛用したマントや手袋など、豊富な資料展示に圧倒されます。たっぷり時間をかけて見終わったあとは、しばらく近くの喫茶店で放心状態になってしまったほど……。

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「己はいまでに自分を凡人だと思ふ事は出来ぬ。己はどうしても天才を持つて居るやうな気がする。己が自分の本当の使命を自覚して、人間界の美を讃へ、宴楽を歌へば、己の天才は真実の光を発揮するのだ」―『神童』より
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入口には、谷崎64歳(昭和24年)頃の写真肖像が。小説『神童』からの引用がエピグラフとして掲げられています。

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会場内の様子です。「陰翳礼讃」を意識してか、暗闇の中に浮かび上がる光を強調したライティング。
 ・序章 幼少時代
 ・第一部 物語の迷宮(ラビリンス)
 ・第二部 <永遠女性の幻影>
 ・終章 老いの夢
という展示構成になっています。

多岐に渡る展示物ですが、メインはやはり自筆原稿や書簡です。
谷崎は達筆ではないけれど、崩さず読みやすい字なのでスイスイ読めてしまう。それで、つい展示ケースの前で読み耽ってしまうのですね。はい、ここが罠です(笑)。どれだけ時間があってもなかなか先へ進みません。これから行く予定の方はしっかと覚悟して下さいね。

ちょっと話はそれますが、もしこれが悪筆で知られる石原慎太郎先生の生原稿だったらえらいことで、たぶん一文字も判読できないと思うんですよね(>比較画像)。その点、谷崎の字のなんと読みやすいこと!

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話を戻しましょう。ここから先、展示物の撮影は不可だったので写真をお見せできないのが残念ですが、まあぜひとも実際にご覧になってみて下さい。印象的だった資料をいくつか紹介します。

哲学者の和辻哲郎と谷崎との間には、こんな逸話があることで知られています。オスカー・ワイルドの『ドリアン・グレイの肖像』の原書(英語)を、和辻が谷崎に貸したのですが、あちこちアンダーラインが引いてあった。返す時谷崎は、「君がアンダーラインを引いたところ以外が面白かった」と言う。それで和辻は己の才能に限界を感じ、創作家になることを断念した……というお話。その『ドリアン・グレイの肖像』、現物が見られたので感激しました。ちゃんと赤線引っ張ってある箇所も見られます。

谷崎の渡辺千萬子宛書簡はすごいですよ。77歳のお爺ちゃんが若い千萬子さん(義理の息子の妻)に「あなたの靴で僕を踏みつけて(大意)」って懇願する手紙! しかも小学生みたいな下手くそな字で! (晩年右手を痛めていたせいだけど)

もちろん、松子(三番目の妻)宛の有名な手紙も展示されていました。結婚に際し「今後は御寮人様の忠実な従僕としてお仕えいたします」という誓約書です。

子供嫌いで知られる谷崎。家庭内でも藝術的な雰囲気を重んじ、長女鮎子の誕生時にはエッセイ「父となりて」で、子供を持つことになった煩わしさを表明しました。その他冷淡なエピソードには事欠かず、とかく子供には冷たいイメージのある谷崎ですが、鮎子宛ての情愛のこもった書簡集が注目され、父親としての谷崎像が見直されているとのこと。
本展でも、鮎子への書簡はまとまった展示がなされています。鮎子が雑誌に「父・谷崎潤一郎」に関するエッセイを書いたあと、「父のことを父の許しもなく書いてはなりません」とたしなめる手紙もあり。お父さん……。

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で、そこへ突如、「文豪ストレイドッグス」という人気マンガのコラボ展示が現れ、昭和モダーンの世界に2010年代感が混入するわけですが。谷崎がイケメン化されている………。

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図録はこのような感じです。100ページ超の充実した図録です。

【まとめ:展覧会を見に行く人へのアドバイス】
以上で何となく雰囲気が伝わったかと思いますが、ともかくこの展覧会は濃いです。特濃です。「文学館の展示なんて、会場も小さいし30分もあれば見られるでしょ」などと考えていると、とんだ見込み違いになるかもしれません。最低でも1時間は想定しておきたいところ。

また、文学館でも美術館でもそうなのですが、どこの展覧会場に行っても「展示物の前で薀蓄を語るインテリ風のおじ様と、熱心に聞き入る連れの(若い)女性」という組み合わせが、現象としてほぼ確実に見られます。そういう時はせっかくですから、さりげなくそちらへ近づいて耳をそばだて、文学薀蓄の恩恵にあずかってしまいましょう!

それから、会場である神奈川近代文学館に初めて行かれる方は
 ・駅からそこそこ遠い
 ・やたら高い丘の上にある
 ・陸の孤島のような場所にある
ということを認識しておいた方がよろしいかと思います。文学館の公式サイトに、とても親切で分かりやすいアクセス案内がありますので、事前によく目を通しておくことをオススメします。

2014年3月16日 (日)

谷崎潤一郎の愛した美猫(2)

文豪・谷崎潤一郎が、阪神時代に飼っていた猫の「タイ」。(参考:前回の記事)
さて、これまでシャム猫であるとされてきたタイですが、今回の記事では、その点に関する疑問を提起したいと思います。

これが、谷崎に抱っこされている、タイの写真です。
(昭和11年、反高林にて、渡辺義雄撮影。芦屋市谷崎潤一郎記念館所蔵)
さあ、この写真をよく見て、果たしてシャム猫に見えますか?
 

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……と言われても、そもそもシャムって、どんな猫だか分からない……。という方のために、参考図版をお見せしましょう。
上の写真とほぼ同時代(昭和9年)に撮影された、大佛次郎夫妻のシャム猫です。

20140306_02

現代のシャムと比べると、だいぶ丸顔でずんぐり体型ですが、これが1930年代当時の典型的なシャム(オールド・スタイル、トラッド・スタイル)です。ちなみに、今のシャムが極端に鋭角的で痩せているのは、長年にわたる品種改良の賜物であります。まあ、それはともかく……。

谷崎さんちのタイちゃん。あなた、本当にシャムですか??

と疑いたくなるほど、同じ猫種には見えません。
特に、シャムの最大の特徴である「ポイント」がなく、その代わり、毛並みに縞があるのが気になります。少なくともこの点だけで、いわゆる正統派のシャムではありえません。

そこで、次のような3通りの可能性を考えてみました。
(1) タイは、シャムではない。 (にも関わらず、谷崎はシャムだと信じていた)
(2) この写真は、他の猫の写真である。 (にも関わらず、タイの写真だと信じられてきた)
(3) タイは、特殊なシャムである。

(1)について、タイは「シヤム猫」だと谷崎自身が書いているのは、「当世鹿もどき」です。
また、件の写真を見て「シャムでないのでは?」との疑問を抱いたのは、私だけではないようで、例えばこのブログの方は、シンガプーラという猫種ではないか? と書いておられます。

(2)、谷崎は同時に何匹もの猫を飼っていましたから、これが実は他の猫の写真だった、というのは、理屈としてはありえる話です。

(3)だとしたら、具体的にこの猫は、正統派ではなく「タビー・ポイント」のシャムである可能性が考えられます。以下詳しく説明しましょう。

1930年代当時、英米のキャット・アソシエーションで公認されていたシャムは、「シール・ポイント」と「ブルー・ポイント」の2種のみでした。ポイントというのは、体の末端部(耳、鼻先、手足、尻尾など)の毛だけ、濃くなっている部分のことです。大雑把に言うと、「シール」は黒、「ブルー」は灰色を意味すると考えて下さい。

つまり、黒かグレーの純粋なポイントを持つ猫だけが、当時認められていた正統派のシャム。参考としてあげた大佛次郎のシャムは、このタイプに当たります。オレンジやライラックなどそれ以外の色、縞やサビを持つ猫も存在していましたが、公認はされていませんでした。

さて、一方のタイですが、耳の後ろが黒く、額には縞模様(タビー)が見られます。また、右腕にも、はっきりした縞模様が確認できます。そして、頬のヒゲの生えている箇所には、黒く濃いソバカスのような点々が。これらは全て、タビー・ポイントのシャムに顕著な特徴です。(本当は、尻尾や肉球なども見られると、より確実なのですが、この写真には残念ながら写っていません)

ただし問題は、タビー・ポイントのシャム猫などというものが、現実的に考えて、当時の日本人に入手可能だったのか? という点ですね。これに関しては、ペットの輸入・繁殖の歴史を詳しく調べてみないと、断定はできません。

引き続き調べていきますが、本日の報告はここまで。

(ご意見・ご質問などありましたら、コメント欄にお願いします)

2014年3月12日 (水)

谷崎潤一郎の愛した美猫(1)

猫好きで知られる、文豪・谷崎潤一郎。
生涯に飼った猫は、数十匹にものぼるとされています。
その中でも、谷崎がとりわけ愛した美猫たちを取り上げます。
今回は、シャム猫のタイです。

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谷崎と愛猫「タイ」昭和12年頃 撮影:渡辺義雄

阪神の反高林(たんたかばやし)の邸宅、「倚松庵(いしょうあん)」で飼っていました。性別は不明ですが、雄よりも雌猫を溺愛した谷崎のことですから、タイちゃんも女の子だったと仮定しておきましょう。
可愛がられていた彼女(仮)ですが、フグの干物を食べて、あえなく中毒死。猫にそんなものやっちゃ駄目ですよ、と獣医からたしなめられたという逸話が、随筆「当世鹿もどき」に記されています。

『作家の猫』(平凡社、2006年)によれば、タイは享年2歳であり、上の写真は昭和12(1937)年頃のもの。また、谷崎が反高林に転居したのは昭和11年11月のことですから、タイが谷崎家にいた期間は、だいたい昭和11年~昭和13年頃だろうと推定されます。

なお、昭和11年1月30日付の、和気律次郎宛書簡によれば、「東京で家畜研究の雑誌を発行している駒城という獣医から写真と手紙来て、シャム猫値段三百五十円とのこと、奥村さんに勧めたらどうか、意向を聞いてくれ」という旨が記されています。(谷崎潤一郎詳細年譜)
「奥村さん」というのは、大阪毎日新聞の奥村信太郎のことで、大の動物好き、猫好きの人。ひょっとして、この文中のシャム猫がタイで、結果的に奥村ではなく谷崎が引き取った、という流れかもしれません。推測に過ぎませんが、時期的にはうまく辻褄が合います。

また、「値段三百五十円」ですが、これは現代の貨幣価値に換算すると、いくらぐらいなのでしょうか? 当時の米10kgの値段が約2円50銭なので、今の物価はその1500倍とすると、52万円ほどに相当します。まあ、決して安くはありませんが、庶民には高嶺の花、と言うほど高価でもありませんね(やや意外)。

それにしても、タイちゃん、ミステリアスな雰囲気の美猫です。
一抹のあどけなさを残したファム・ファタル、といった風貌で、谷崎にはぴったりじゃないですか。
で、ここから先は、完全にわたくしの妄想ですが……。

――谷崎先生、駒城獣医師からの写真を見て、きっとタイちゃんに一目惚れしちゃったんですよ。でも、谷崎家は借金だらけだし、松子夫人への遠慮とか、色々あって断念。仕方がないので、友人の奥村氏に斡旋することにした。が、実際のタイちゃんを見てみると、写真より断然コケティッシュ! ああ、斡旋なんかしないで、引き取っておけばよかった。悶々と後悔の日々を送る、潤一郎。そんな彼の前に、ある日ふと姿を現したのは……。

松子 「あんた、その猫、奥村さんに返したげなさい」
潤一郎 「なんでやねん?」
タイ 「ニャア~ (訳:おやつちょうだい)」
松子 「なんでって、それ奥村さんとこから、逃げ出してきたんやろ。明日、北畑行って、早よ返してしまいなさい」
タイ 「ミャーオ~ (ねえ、パパさんってば、おやつ~。村上開新堂のケーキがいい)」
潤一郎 「お、ちょっと待ち」
松子 「あんた、わての話聞いてんの!」
潤一郎 「すんまへん……」
松子 「潤さん。あんた、わてより猫が大事やねんなあ」
潤一郎 「ま、ようそんなこと……。阿呆らしなって来るわ、ほんまに」
松子 「そんなら、この猫遣ってしまいなはれ」
潤一郎 「なあ、頼むさかいに、そない言わんと……」
タイ 「フガッ! (もういい! おやつくれないんなら、あっちのパパさんの家に戻っちゃうもん)」
潤一郎 「あかん、それだけはあかん! 僕もう、なんでもタイちゃんの言うこと聞きますよってに、どうか堪忍してぇな」

……えーと、谷崎先生、ごめんなさい。あと、適当な関西弁ですみません。『猫と庄造と二人のおんな』と、『痴人の愛』と、わたくしの妄想をごた混ぜにしたら、こうなりました。

次回は、もう少しマシな内容(タイの猫種に関する、結構細かい考察)を書く予定ですので、どうかお許し下さいませ。

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