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2019年10月 6日 (日)

「瘋癲老人日記」を楽しむために(後篇)

後篇目次

  • その4 颯子のおねだりした宝石は現在なら数千万円
  • その5 口述筆記で書かれた小説、しかし……
  • その6 本当に取っていた足の拓本
  • その7 著者本人が出演したラジオドラマ

その4 颯子のおねだりした宝石は現在なら数千万円

作中、颯子がシャワールームで老人にネッキングを許した代償として、「三百萬圓」の猫目石(キャッツ・アイ)をねだる場面がある。冗談じゃないと老人は焦るが、結局颯子に言いくるめられて買ってやる破目になる。

さてこの300万円、今の感覚でも十分な大金だが、昭和36(1961)年はサラリーマンの平均年収が30万円という時代だったわけで、平均的な勤め人の年収10年分。つまり、ざっと現代に置き換えると約4000万円相当というとんでもない金額なのである。

実は本作が発表される4年前の昭和32(1957)年、当時の岸信介首相がシンガポール滞在中に200万~400万円もの高価なセイロン産猫目石を土産に買ったことが新聞で報じられ、それを税関では4万円と申告していたことが批判されて諷刺画になったり、翌年4月には国会でも追及されるという事件が起こっている。

その事実を考え合わせても、いくら資産家とはいえ一介の金持ち老人に過ぎない卯木督介に300万円(現在の4000万円)の指輪をねだるのも、それでポンと金を出して買ってやるのも、いかに現実離れした無茶苦茶な行動であるか分かるはずだ。

だいたい、その前に督介老人は娘の陸子(くがこ)から住宅購入資金として2万円ほど貸してほしいと頼まれたのを、あれこれ理由を付けて断っているのである。実娘には2万円すら貸さないのに、息子妻には300万円の指輪を買う男。どう考えても狂っている。

それにしても300万円は1つ桁が多いのではないか、と首をかしげたくなるが、谷崎というのは基本的に金銭感覚のおかしい人で、小説「痴人の愛」でも主人公のサラリーマンを異様な高給取りに設定してしまった前科があるので、まあそんなものか、と納得するしかないかもしれない。

その5 口述筆記で書かれた小説、しかし……

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病気で右手の痛みに苦しんでいた晩年の谷崎は、執筆や手紙などを助手に代筆させることがあったが、この「瘋癲老人日記」も口述筆記による作品である。熱海の自宅「雪後庵」の書斎で、あるいは熱海ホテルの一室で執筆は行われた。が、助手役を務めていた中央公論社の編集者である伊吹和子の手記『われよりほかに』によれば、谷崎の気まぐれと我儘ぶりは度を越したものであったという。

ある日突然、「もう明日から来なくていい、今すぐ東京へお帰りなさい。あなたよりずーっと優秀な人見つけましたから!」と追い払われる。何も身に覚えがないのに……と伊吹氏が怪訝に思っていると、数日後に「丸善で消しゴムを買ってきてくれません? そ、そりゃ熱海にだって消しゴムくらいありますけどね、丸善の方が綺麗に消えるんじゃないかなって」と、谷崎から電話。仕方なく消しゴムを買って東海道に乗って熱海へ行くと、ケロリとした顔の谷崎がいて何事もなかったかのように口述筆記が再開される。原稿は自分が追い出された時から一文字も進んでいない様子……。

こんなことが完成まで何度も繰り返され、その都度何人か助手候補が入れ替わり立ちかわり現れたが、結局伊吹氏のように谷崎の横暴に耐えて口述筆記の「機械」役に徹することのできる人はいなかったらしい。「先生からの苦情は、私が真面目に命令を聞き過ぎるのが癪の種だったり、誤字がなさ過ぎて叱る理由がなく、退屈だったりで、要するに駄々っ子のような理由ばかりであった」(『われよりほかに』p.352)。ちなみに、谷崎が癇癪を起こした数日後に彼女を東京から呼び戻す口実としては、「消しゴム買ってきて」のほかに赤鉛筆、糊、スコッチの粘着テープなどが使われたようだ。

その6 本当に取っていた足の拓本

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京都で自分の墓石選びをする督介老人が、颯子の足裏を拓本にとって仏足石を作りたい、死後もずっと踏まれていたいと願う場面は本作のクライマックスであるが、なんと谷崎は女性の足裏拓本を実際に取っている。ただし、その最初の相手は千萬子ではなくヨシさんという女中であり、千萬子の拓本を取ったのは作品執筆後のことだった。

最初に拓本を取ったのは「瘋癲」が書かれる10年ほど前のこと、熱海の母屋から少し離れた仕事場で女中のヨシさんの足型を取った。伊吹和子『われよりほかに』にこの時の様子が描かれているが、女性の足裏にタンポで朱墨を塗って色紙に型を取るやり方など、「瘋癲」の場面さながらである。これが谷崎の単なる気まぐれだったのか、それとも来るべき小説のための実験だったのか、今となっては分からない。

一方、ヒロイン颯子のモデルとされる渡辺千萬子の足型をまず取ったのは、連載開始翌年にあたる昭和37年12月のことだ。千萬子は室内履きとして刺繍つきの中国靴を好んでいたが、谷崎が新しいのを特注で買ってあげるから足型を送るように指示、その後「私が戴いておきたい」と言い出して(普通に考えたらものすごく意味不明な要求だが)まんまと自分のものにしてしまう。

そして、さらに翌昭和38年8月、作中さながらに谷崎は千萬子の足裏から仏足石のための拓本を取る。その時の喜びは書簡(『谷崎潤一郎=渡辺千萬子書簡集』)の中でこのように書かれている。

「先日は梅園ホテルで二日間も他人を交へずお話を聞くことが出来いろいろ教へていたゞくことが出来ました。こんな嬉しいことはありませんでした、一生忘れられません、これから後もあゝ云ふ機会を与へて下さつたらどんなに貴重な刺戟になるか知れません、おかげで当分創作熱がつづくと思ひます 殊にあなたの仏足石をいたゞくことが出来ましたことは生涯忘れられない歓喜であります 決してあれ以上の法外な望みは抱きませんから何卒たまにはあの恵みを垂れて下さい」(昭和38年8月21日)

その7 著者本人が出演したラジオドラマ

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谷崎が生前に自ら作・演出し、主役として出演したラジオドラマ版「瘋癲老人日記」というものがある。朝日放送とTBSラジオの共同制作により、1962(昭和37)年5月、全3回放送された。卯木督介役を谷崎、颯子役を淡路恵子が演じており、音楽は武満徹。

当然ながら谷崎は素人なので、おじいちゃんの棒読み朗読を延々と聴かされることになる。他は皆プロの俳優だから、会話の掛け合いとなるとそれはシュールで、役者集団の中にボケたおじいちゃんが一人だけ紛れこんでしまった感がある。しかしこの絶妙なシュールさには中毒性があり、ハマると私のように音源をiPadに入れて持ち歩くようになるから注意が必要だ。

なお、文芸誌「新潮」2011年5月号の特別付録として復刻CD化されているので、聴いてみたい人は中古市場で探してみてください。知人に勧めたら「悪夢に出てきそうだ」と言われましたが。

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