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2019年10月 3日 (木)

「瘋癲老人日記」を楽しむために(前篇)

谷崎潤一郎の小説「瘋癲老人日記」をさらに楽しく味わうための作品背景7つを紹介する。読んだ人も、これから読む人も、鑑賞のお供にぜひどうぞ。

前篇目次

  • その1 ヒロインには実在のモデルあり
  • その2 『谷崎潤一郎=渡辺千萬子往復書簡』は最高の副読本
  • その3 インスピレーションの宝庫だったバーベキュー

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その1 ヒロインには実在のモデルあり

卯木督介(うつぎ とくすけ)老人が執心する、若く美しい息子の妻颯子(さつこ)にはモデルが存在する。渡辺千萬子(ちまこ)という女性で、谷崎から見ると義理の妹の息子の妻という関係にあたる(詳細は注を参照)。

千萬子は橋本関雪の孫娘に当たるお嬢さんで、同志社大の英文科出身のインテリ風の女性だった。結婚当初の4年間は谷崎が京都に建てた潺湲亭(せんかんてい)で同居することになる。600坪の庭のある純和風の豪邸だが、幼少期に3000坪の白沙村荘という豪邸に住んでいた彼女はケロリとしており、きっと姑たちには生意気な小娘と思われただろうと本人が書いている(『落花流水』)。谷崎は初対面の彼女に「ちょっと意地悪そうな娘」という印象を持ったようだが、利巧で当意即妙の会話に惹かれ、彼女の現代的なファッション(パンツスタイル)や、休日にスキーやバーベキューを楽しむライフスタイルなどにも興味津々で千萬子が大のお気に入りになる。

「僕は君のスラツクス姿が大好きです、あの姿を見ると何か文学的感興がわきます、そのうちきつとあれのインスピレーシヨンで小説を書きます」と谷崎は昭和34年の手紙で宣言しているが、その2年後の昭和36年、「瘋癲老人日記」という形でまさに作品化することになる。

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その2 『谷崎潤一郎=渡辺千萬子往復書簡』は最高の副読本

こうなると実際のモデルとの関係が気になって仕方がないだろうが、二人が交わした手紙は大量に残されており、『谷崎潤一郎=渡辺千萬子往復書簡』(中公文庫)として出版されている。これがメチャクチャに面白く、「瘋癲老人日記」以上の傑作とすら言う人もいる。この書簡集を読めば、二人は実際どのような関係だったのか、千萬子はどんな人だったのか、現実の人物やエピソードがいかに変形されて創作物となるかがよく分かる。

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まず、谷崎は小説の督介老人と同じかそれ以上に気持ち悪い。「君のスラツクス姿が大好き」と嫁にデレる疑似舅も大概だと思うが、君は美人だ、崇拝してます、写真送ってくれないかな、撮影費用は僕が出すから、みたいなことを何度も書いている。

そんな往復書簡中でも選りすぐりのキモレターを紹介しよう。

「今度十二畳の座敷を西洋間に直し龍村の布を用ゐてちよつと豪華なソフアベツドを作りました あまり立派に出来たので下らない客に寝てもらひたくない気がしてゐます そして最初にこの上に寝る人は君であつて欲しいと思つてゐたのでした (略) 君が「お初」をしてくれる迄はこのベツトには誰も寝かせたくありません」(昭和36年7月18日)

この続きの手紙でも、今度誰それが泊まりに来るが絶対君より先には寝かせないぞ、などと書いている。文豪でなければただのセクハラ老人である。

谷崎は千萬子の美貌や知性を絶賛し、老いた自分を指導鞭撻してくれるブレインとして崇拝していた。

「私の死後は勿論ですが生きてゐるとしても次第に耄碌がはげしくなり あなたの智慧や監督にたよらなければ一枚の原稿も書けないやうになるでせう
私は私の崇拝するあなたに支配されるやうになることを寧ろ望んでゐる者です 近いうちにきつとさう云ふ時が来ます」(昭和34年2月16日)

それに対して千萬子は、少なくとも小説の颯子よりはずっと常識的な人物であり、あんなあくどいことはしていない。ただ、頭が良くしたたかな女性だったことは確かで、自分が谷崎にどう思われていてどう振る舞えばベストかということをしっかり把握していたようだ。何でも買ってあげるよ、お小遣いもあげるよと甘やかす谷崎から貰えるものはちゃんと貰っていたし、家計が苦しくなると金を借りたりもしている。谷崎からの熱烈なラブレターめいた文面には深入りせずさらっとかわす一方で、文豪の期待に応えるために、「そんな時には私はきっと意地悪になってゐるでせう。私が意地悪なのは私を意地悪だと思ってゐる人に対して余計はげしくなるのだと思ひます」(昭和34年2月18日)、「私は男の子(夫清治の会社の若い男性社員のこと)を手なづけるのがうまいのださうです」(昭和37年8月15日)と、悪女めいた自己演出をしてみせる。

その3 インスピレーションの宝庫だったバーベキュー

「瘋癲老人日記」にちらりと登場するバーベキューのシーン。作中ではシャワー事件の間に挟まれた場面に過ぎないのだが、実際の谷崎は千萬子一家のバーベキューの光景から大いにインスピレーションを得ていたらしい。まず、明治生まれの爺さんから見ればバーベキューなどというアメリカンで開放的な風俗が物珍しい。ヒマワリやダリヤの花咲く花壇と芝生のある庭に集う人々、ジュージュー焼ける肉の匂い、その間をトレアドルパンツ姿で動き回る千萬子。それは着物を着て家の奥へ引っ込んでいた旧世代の「良妻」イメージとはかけ離れたものであり、谷崎はここから妄想を膨らませたのだろう、と千萬子本人が『書簡集』内のエッセイで分析している。また、バーベキューの後は汗や匂いを流すため皆でシャワー(当時の家庭では新しい設備で、今と違いどこの家にもあるわけではなかった)を使っていたが、それも谷崎は面白がって観察していたようで、ここから「瘋癲」のシャワーシーンが生まれたのだろう。

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(後篇その4~その7は次回に続く)

注:谷崎周辺の人物関係はややこしいが詳細を説明しておく。谷崎の3番目の妻である松子夫人には前夫との間に清治という息子がおり、谷崎から見ると妻の連れ子。また松子夫人には渡辺重子という妹がおり、夫に早く先立たれて子供がなかったので清治は重子の養子となる。その清治と結婚したのが千萬子。だから千萬子は谷崎のことを「伯父様」、子供が生まれてからは「おじいちゃん」と呼んでいた。こうした現実のややこしい関係を取り払い、小説ではシンプルに舅と嫁という関係に落ち着いている。

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