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2014年3月

2014年3月16日 (日)

谷崎潤一郎の愛した美猫(2)

文豪・谷崎潤一郎が、阪神時代に飼っていた猫の「タイ」。(参考:前回の記事)
さて、これまでシャム猫であるとされてきたタイですが、今回の記事では、その点に関する疑問を提起したいと思います。

これが、谷崎に抱っこされている、タイの写真です。
(昭和11年、反高林にて、渡辺義雄撮影。芦屋市谷崎潤一郎記念館所蔵)
さあ、この写真をよく見て、果たしてシャム猫に見えますか?
 

20140306_01

……と言われても、そもそもシャムって、どんな猫だか分からない……。という方のために、参考図版をお見せしましょう。
上の写真とほぼ同時代(昭和9年)に撮影された、大佛次郎夫妻のシャム猫です。

20140306_02

現代のシャムと比べると、だいぶ丸顔でずんぐり体型ですが、これが1930年代当時の典型的なシャム(オールド・スタイル、トラッド・スタイル)です。ちなみに、今のシャムが極端に鋭角的で痩せているのは、長年にわたる品種改良の賜物であります。まあ、それはともかく……。

谷崎さんちのタイちゃん。あなた、本当にシャムですか??

と疑いたくなるほど、同じ猫種には見えません。
特に、シャムの最大の特徴である「ポイント」がなく、その代わり、毛並みに縞があるのが気になります。少なくともこの点だけで、いわゆる正統派のシャムではありえません。

そこで、次のような3通りの可能性を考えてみました。
(1) タイは、シャムではない。 (にも関わらず、谷崎はシャムだと信じていた)
(2) この写真は、他の猫の写真である。 (にも関わらず、タイの写真だと信じられてきた)
(3) タイは、特殊なシャムである。

(1)について、タイは「シヤム猫」だと谷崎自身が書いているのは、「当世鹿もどき」です。
また、件の写真を見て「シャムでないのでは?」との疑問を抱いたのは、私だけではないようで、例えばこのブログの方は、シンガプーラという猫種ではないか? と書いておられます。

(2)、谷崎は同時に何匹もの猫を飼っていましたから、これが実は他の猫の写真だった、というのは、理屈としてはありえる話です。

(3)だとしたら、具体的にこの猫は、正統派ではなく「タビー・ポイント」のシャムである可能性が考えられます。以下詳しく説明しましょう。

1930年代当時、英米のキャット・アソシエーションで公認されていたシャムは、「シール・ポイント」と「ブルー・ポイント」の2種のみでした。ポイントというのは、体の末端部(耳、鼻先、手足、尻尾など)の毛だけ、濃くなっている部分のことです。大雑把に言うと、「シール」は黒、「ブルー」は灰色を意味すると考えて下さい。

つまり、黒かグレーの純粋なポイントを持つ猫だけが、当時認められていた正統派のシャム。参考としてあげた大佛次郎のシャムは、このタイプに当たります。オレンジやライラックなどそれ以外の色、縞やサビを持つ猫も存在していましたが、公認はされていませんでした。

さて、一方のタイですが、耳の後ろが黒く、額には縞模様(タビー)が見られます。また、右腕にも、はっきりした縞模様が確認できます。そして、頬のヒゲの生えている箇所には、黒く濃いソバカスのような点々が。これらは全て、タビー・ポイントのシャムに顕著な特徴です。(本当は、尻尾や肉球なども見られると、より確実なのですが、この写真には残念ながら写っていません)

ただし問題は、タビー・ポイントのシャム猫などというものが、現実的に考えて、当時の日本人に入手可能だったのか? という点ですね。これに関しては、ペットの輸入・繁殖の歴史を詳しく調べてみないと、断定はできません。

引き続き調べていきますが、本日の報告はここまで。

(ご意見・ご質問などありましたら、コメント欄にお願いします)

2014年3月12日 (水)

谷崎潤一郎の愛した美猫(1)

猫好きで知られる、文豪・谷崎潤一郎。
生涯に飼った猫は、数十匹にものぼるとされています。
その中でも、谷崎がとりわけ愛した美猫たちを取り上げます。
今回は、シャム猫のタイです。

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谷崎と愛猫「タイ」昭和12年頃 撮影:渡辺義雄

阪神の反高林(たんたかばやし)の邸宅、「倚松庵(いしょうあん)」で飼っていました。性別は不明ですが、雄よりも雌猫を溺愛した谷崎のことですから、タイちゃんも女の子だったと仮定しておきましょう。
可愛がられていた彼女(仮)ですが、フグの干物を食べて、あえなく中毒死。猫にそんなものやっちゃ駄目ですよ、と獣医からたしなめられたという逸話が、随筆「当世鹿もどき」に記されています。

『作家の猫』(平凡社、2006年)によれば、タイは享年2歳であり、上の写真は昭和12(1937)年頃のもの。また、谷崎が反高林に転居したのは昭和11年11月のことですから、タイが谷崎家にいた期間は、だいたい昭和11年~昭和13年頃だろうと推定されます。

なお、昭和11年1月30日付の、和気律次郎宛書簡によれば、「東京で家畜研究の雑誌を発行している駒城という獣医から写真と手紙来て、シャム猫値段三百五十円とのこと、奥村さんに勧めたらどうか、意向を聞いてくれ」という旨が記されています。(谷崎潤一郎詳細年譜)
「奥村さん」というのは、大阪毎日新聞の奥村信太郎のことで、大の動物好き、猫好きの人。ひょっとして、この文中のシャム猫がタイで、結果的に奥村ではなく谷崎が引き取った、という流れかもしれません。推測に過ぎませんが、時期的にはうまく辻褄が合います。

また、「値段三百五十円」ですが、これは現代の貨幣価値に換算すると、いくらぐらいなのでしょうか? 当時の米10kgの値段が約2円50銭なので、今の物価はその1500倍とすると、52万円ほどに相当します。まあ、決して安くはありませんが、庶民には高嶺の花、と言うほど高価でもありませんね(やや意外)。

それにしても、タイちゃん、ミステリアスな雰囲気の美猫です。
一抹のあどけなさを残したファム・ファタル、といった風貌で、谷崎にはぴったりじゃないですか。
で、ここから先は、完全にわたくしの妄想ですが……。

――谷崎先生、駒城獣医師からの写真を見て、きっとタイちゃんに一目惚れしちゃったんですよ。でも、谷崎家は借金だらけだし、松子夫人への遠慮とか、色々あって断念。仕方がないので、友人の奥村氏に斡旋することにした。が、実際のタイちゃんを見てみると、写真より断然コケティッシュ! ああ、斡旋なんかしないで、引き取っておけばよかった。悶々と後悔の日々を送る、潤一郎。そんな彼の前に、ある日ふと姿を現したのは……。

松子 「あんた、その猫、奥村さんに返したげなさい」
潤一郎 「なんでやねん?」
タイ 「ニャア~ (訳:おやつちょうだい)」
松子 「なんでって、それ奥村さんとこから、逃げ出してきたんやろ。明日、北畑行って、早よ返してしまいなさい」
タイ 「ミャーオ~ (ねえ、パパさんってば、おやつ~。村上開新堂のケーキがいい)」
潤一郎 「お、ちょっと待ち」
松子 「あんた、わての話聞いてんの!」
潤一郎 「すんまへん……」
松子 「潤さん。あんた、わてより猫が大事やねんなあ」
潤一郎 「ま、ようそんなこと……。阿呆らしなって来るわ、ほんまに」
松子 「そんなら、この猫遣ってしまいなはれ」
潤一郎 「なあ、頼むさかいに、そない言わんと……」
タイ 「フガッ! (もういい! おやつくれないんなら、あっちのパパさんの家に戻っちゃうもん)」
潤一郎 「あかん、それだけはあかん! 僕もう、なんでもタイちゃんの言うこと聞きますよってに、どうか堪忍してぇな」

……えーと、谷崎先生、ごめんなさい。あと、適当な関西弁ですみません。『猫と庄造と二人のおんな』と、『痴人の愛』と、わたくしの妄想をごた混ぜにしたら、こうなりました。

次回は、もう少しマシな内容(タイの猫種に関する、結構細かい考察)を書く予定ですので、どうかお許し下さいませ。

2014年3月 6日 (木)

日本ファンタジーノベル大賞 創設時の対談 (安野光雅×高橋源一郎)

昨年末に惜しまれつつも休止が報じられた、「日本ファンタジーノベル大賞」。
この賞が創設されたのは1989年ですが、それに先立つ88年12月に読売新聞紙上で、初代選考委員である、安野光雅・高橋源一郎氏が「ファンタジーとは何か」という対談をしています。

これが、なかなか面白い。というのも、ファンタジーノベル大賞の草創期エピソードに関して、世間に流布している話やイメージと、少しずれたところがあるからです。

「主催者側は、『ピーターパン』や『モモ』のような、児童文学的ファンタジーを想定し、受賞作のアニメ化を企画していた。ところが初回から、酒見賢一『後宮小説』という、その概念を全く覆すような傑作が現れたため、賞の方向性そのものが転換。以降、既成の枠組にとらわれない、自由奔放でスリップストリーム的な受賞作を輩出していった」

……というのが、一般的によく言われているお話ですね。確かに、主催者(三井不動産・読売新聞)は、そのつもりだったのでしょう。第1回の募集要項を見ると、「夢と冒険とスリルに満ちあふれた未発表の創作ファンタジー小説」が求められており、規定枚数の下限も150枚と短かめです。

 しかし、選考委員の意識は、必ずしもそういうわけではなかったらしい。
「児童文学でいうファンタジーはみんな何々チックなものなんですが、そういうものはだめ」(安野)とか、
「カフカの小説にはファンタジーが感じられる」「いちばんラジカルな現代小説がファンタジー」(高橋)
というようなことを、はっきりと言っているんです。第1回の作品募集が始まる、数ヶ月前の段階で。これを読むと、『後宮小説』は想定外どころか、まさに選考委員の期待に応えるような応募作、であったと言えるでしょう。

 そういうわけで、非常に面白い対談なのですが、なぜか資料としてあまり言及されることがないため、以下に要点をまとめます。


「座談会 日本ファンタジーノベル大賞創設 ファンタジーとは何か」
(読売新聞、1988年12月29日、東京朝刊、15頁)

・安野光雅(画家・絵本作家)
・高橋源一郎(作家)
・司会:後藤文生(本社文化部長)

◆「ファンタジーノベル」とは何か?
・文学は創造的な営みなので、定義や枠組みを安易に限定しない方がいい。(安野)
・ファンタジーとは、想像力に対する作者の態度の問題であるので、ジャンルとしてのファンタジーノベルにこだわる必要はない。童話・児童文学・SF・ホラー・純文学など、あらゆるジャンルを横断する概念になりうる。(高橋)

◆「ファンタジー=夢のおとぎ話」ではない
・小説だから、ファンタジーだから何でも許されるという、安直な態度では甘い。夏目漱石「吾輩は猫である」、井伏鱒二「山椒魚」などは、猫や山椒魚が主人公であるが、完全に地に足がついている。(安野) 宮沢賢治「銀河鉄道の夜」も、当時の東北の現実でもあり、ヨーロッパ的な伝説の世界に根付いたもの。(高橋)
・我々の今いる世界は、中から見ていてもよく分からないが、別な世界から眺めたり、ちょっと視点をずらすことで、何かが見えてくる。例えば、カフカの不条理小説。その意味で、ファンタジーとは、最もラディカルな現代小説ということになるかもしれない。(高橋)
・ファンタジー自体に、甘いおとぎ話の性質はない。妖精や小人のお話、勧善懲悪、ハッピーエンド……等々、安直な類型化は避けるべき。そういう道具立てを揃えれば、即座にファンタジー「チック」にはなるが、決してファンタジーそのものではない。ディズニーのアニメなどは、その最たるもの。(安野・高橋)

◆ファンタジーの書き手とスタンス
・社会がブラックボックス化し、情報化が加速する一方で、リアリティが希薄している今、何を普通に書いても、勝手にファンタジーに近づいてしまう。特に、リアルな経験の乏しい、若い世代においては。(高橋)
・だからと言って、軽いものをわざわざ重くしようと考える必要はない。どれだけ希薄であっても、自分自身を根っこにするしかないのだから。もっとも、ある種の「重み」があった方が、上の世代には評価されやすい、というのは事実なのだけれど。(高橋)
・「ファンタジーノベル大賞というものがある→だから書こう」ではなく、書いてみたらファンタジーとしても成立する、というスタンスでもよいのでは。また、短編やオムニバス形式の優れた作品にも期待している。珠玉のファンタジーというのは、短くなる可能性があるから。(安野)

◆読者にファンタジーの需要はあるか
・現代の高度な資本主義社会は、情報が溢れている一方で、リアルな手応えの感じられない、不安な社会。人々は支えを求めて、ファンタジーを必要とするはず。これはリアリズム小説、これはファンタジー、という垣根はあまりなく、柔軟に読まれていくのでないか。(高橋)
・子供たちが児童文学を読む中で、すぐれたファンタジーノベルに出会えれば、さらに様々な本を読むきっかけとなる。「ガリバー旅行記」、「モンテクリスト」、「ドン・キホーテ」……。これらはいずれも、本来は児童文学として書かれたものではないが、多くの人は、子供用に書き直されたものを読んで、完結してしまっている。本当にすぐれた文学は、大人だけのもの、子供だけのものではないと思う。(安野)


要旨は以上。原文は、6000字ほどの分量があります。
気になる人は、新聞記事のオリジナルを読んで下さいね。

なお、安野光雅が「自分のところにも、よくファンタジーが送られてくるんだけど、凡庸な作品ばかりで……」と嘆いている場面があり、ちょっと皮肉がきいて面白かったので、引用しておきます。

「安野 ほとんどが森のなかに白亜の家があって、そこにどういうわけか少女がひとり住んでいて、名前は「瑠璃子」というんです(笑い)。[中略]それから、パパが朝、書斎でガウンを着て紅茶を飲みながら新聞を読んで公害を論ずるなんていうのもあるんです。何か道具立てがそろっていてつき合いきれない感じなんだな(笑い)」

ご意見ご指摘、質問などありましたら、コメント欄へどうぞ。

[参考文献]
大森望「大森望の新SF観光局(第38回):日本ファンタジーノベル大賞の二十五年」『SFマガジン』、2014年2月号
瀧井朝世「サイン、コサイン、偏愛レビュー(第47回):日本ファンタジーノベル大賞のこと」『波』、新潮社、2014年2月号
佐藤亜紀「ファンタジーノベル大賞とはなんだったのか」、『ユリイカ』第36巻第8号(通巻495号)、2004年8月

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