2017年9月 3日 (日)

谷崎潤一郎「天鵞絨の夢」(3) 作品のモデル

10/22の朗読会に向けて、谷崎潤一郎「天鵞絨の夢」や朗読会情報をお伝えする記事、第3弾です。
今回は、本作の登場人物のモデルである、上海のハードン夫妻について書きます。

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実在のモデル?

第1弾の紹介記事であらすじを読んだ方はご存知の通り、「天鵞絨の夢」は耽美主義的で怪奇幻想風の物語です。

何しろ、富豪の温秀卿とその妻妾の「女王」が、湖のほとりの人工楽園のような豪邸に住み、人さらいの手から美少年や美少女を贖っては監禁同然の奴隷にしているわけですから……。

このインモラルな温夫妻に実在のモデルがあったというと、驚く人が多いかもしれません。

長い間、「天鵞絨の夢」における中国趣味には、大正7年の中国旅行の影響が顕著でありながらも、小説の内容自体は谷崎の自由奔放な空想の産物だと考えられてきました。

しかし、どうやら谷崎はここから着想を得て参考にしたに違いないというモデル人物が、最近の研究で明らかになっているのです(林 茜茜「谷崎潤一郎が中国へ投射したもの : 「天鵞絨の夢」を視座にして」『比較文学』 59, 96-110, 2016)。

ハードン夫妻

そのモデルと目されているのがハードン夫妻、ユダヤ人のサイラス・アーロン・ハードン(Silas Aaron Hardoon, 1851-1931)と、その妻で中国人のリーザ(Liza Roos, 1864-1941)です。

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ハードンは20世紀初頭の上海で活躍したユダヤ人不動産王。

オスマン朝の首都バグダードの貧困家庭に生まれ、のちムンバイで育ちます。

一家で上海に移住、英国系大財閥の一つサッスーン商会に雇われたところすぐさま頭角を現し、阿片貿易などに従事し莫大な利益を上げました。

1883-85年の清仏戦争中に不動産投資に大成功。

1901年には自社商会を設立し不動産王の名をほしいままにします。

清朝の皇族に近づき、革命後は新政権の有力者と親交を深めるなど、時の権力者との結びつきにも抜かりなく、アジアのみならず世界有数の大富豪となりました。

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妻のリーザ・ルースは、フランス人の父と中国人の母の間に生まれた女性。

敬虔な仏教徒でしたが派手好きで、宝石類のコレクションなど豪奢な生活を好む人だったようです。

この二人が、上海租界の富豪である温秀卿とその妻(あるいは妾なのか作中では曖昧ですが)のモデルに当たるのではないか、というわけです。

多くの孤児を養子に

ハードン夫妻には実の子供がなく、二人は1904年頃から中国人、ユダヤ人、白系ロシア人などの孤児たちを次々と養子にして引き取りました。

その数は総勢20名にも上ります。

このことは「天鵞絨の夢」を読んだ人ならピンと来ると思いますが、「上海あたりで生れた日本人、支那人、印度人、猶太人、葡萄牙人」と、さまざまな人種の中から容貌の優れた子供や若者を買い取り、奴隷にしていた温夫妻という設定の発想源となった可能性が高いのです。

もちろん、実在のハードン夫妻が養子たちを奴隷扱いし虐待していた、などというわけではありません。

富豪が多様な人種の子供たちを養子にして……という事実が、谷崎の創作心を刺激し、そこに独特の空想を加えた結果「少年少女の奴隷」という創作に至ったのではないか、ということです。

ハードン・ガーデンと西湖の別荘

1909年、ハードン夫妻は上海に豪華な庭園つきの邸宅を完成させます。

庭園には妻の名を一字取って「愛儷園」と名付けられました。

園内には風雅な名前の付けられた山や池、塔や楼閣や東屋などがあり、地元の人々は「哈同園」(ハードン・ガーデン)という愛称で呼んでいました。

1919年刊行の日本語ガイドブック『上海案内』にも、この庭園のことが名所として紹介されています。

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夫妻はまた、杭州の西湖にも「羅苑」という別荘を持っていました。
しかし、西湖の景観を乱す形で建てられたこの白亜の豪邸は、世間から非難の的となり、ハードン夫妻が実際に住むことはほとんどなかったといいます。

これらの事実は、「天鵞絨の夢」の設定に直接関わってきそうな事実です。
先に挙げた研究論文の林氏によれば、谷崎が中国旅行に行った1918年はちょうど羅苑の是非が議論されていた時期であり、現地でこの話題を耳にしたり、実物を見た可能性は非常に高いとしています。

なお、谷崎の後を追うようにその三年後中国旅行に出かけた芥川龍之介は、「江南游記」(1922)の中で羅苑とおぼしき建物に言及し、「金持の屋敷らしい、大きいだけに俗悪な」とにべもなくけなしています。

モデルから創作へ

こうして実在のハードン夫妻の生活と「天鵞絨の夢」を見比べてみると、谷崎が彼らを小説のモデルにしたのではないかという林氏の説には、相当な説得力があります。

そして、もし事実その通りだったとすれば、谷崎は非常に面白いやり方で現実の人間を変形し、途轍もない奇想を加えてあの幻想怪奇譚を作り上げたということになるでしょう。

おそらくハードン夫妻は、自分たちが日本人作家による小説のモデルにされているなど知る由もなかったでしょうが、それは言ってみれば大正期だからできたことであり、現代のような情報化社会において果たして同じことができるだろうか……と考えてみると、なかなか興味深いものがあります。

10/22朗読会では、第一部の朗読劇のあと、第二部のトーク「谷崎潤一郎の人工楽園」でこういった解説もいたします。

ぜひともお運びくださいませ。

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朗読会「天鵞絨の夢」

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水辺に建つ白亜の館、それは綺想の楽園にして「女王」の魔睡の褥だった――

第一部:朗読劇『天鵞絨の夢』より「第一と第二の奴隷の告白」(鏡谷眞一)
第二部:トーク「谷崎潤一郎の人工楽園」(坂本葵)

10/22(日) 17:00-19:00
猫々文庫(東京都杉並区)
料金1500円、抽選申込制、定員15名

※申し込みはこちらから(Googleフォームが開きます)

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新装復刊『天鵞絨の夢』

この朗読会に合わせて、谷崎潤一郎『天鵞絨の夢』(大正9年天佑社)を、個人出版(藍色手帖)にて新装復刊しました。

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A5並装112頁、解説付き。表紙はG.バルビエの挿絵を元に新制作しました。

当日の会場にて(定価1000円)、もしくはクラウドファンディング経由で入手できます。

ご来場予定のない方には、郵送も選べるクラウドファンディングがお勧めです。

«谷崎潤一郎「天鵞絨の夢」について(2)

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