2016年11月 7日 (月)

谷崎潤一郎の柿の葉鮨

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谷崎潤一郎が愛した、吉野の郷土料理「柿の葉鮨」。
海のない吉野の山奥に運ばれてくる塩漬けの鮭、それを爽やかな柿の葉でくるんで新鮮さを味わおうという、吉野の人々の知恵と工夫が込められた料理です。

さて、今年5月に出版された拙著『食魔 谷崎潤一郎』(新潮新書)の巻末附録に、「陰翳礼讃」の柿の葉鮨のレシピを載せたところ、その製法について詩人の関口涼子さんがSNSでいくつかの疑問を呈されました。
新書では紙数に制約があり、「陰翳礼讃」の記述を要約するに留まったのですが、この機会に柿の葉鮨について詳しく補足説明をしておきたいと思います。
関口さんから頂いたご指摘と合わせ、多くの人が「あれ?」と不思議に思う点を解説します。

レシピ

まず、谷崎が「陰翳礼讃」で柿の葉鮨についてレシピを記述している部分の要約です。

  1. 米一升につき酒一合の割でご飯を炊く。
  2. ご飯が炊けたら完全に冷えるまで冷ましたあと、手に塩をつけて固く握る。このとき、手にちょっとでも水気があってはいけない。塩だけで握るのが秘訣。
  3. 鮭のアラマキを薄く切り、それを飯の上にのせ、その上から柿の葉の表を内側にして包む。柿の葉も鮭も、あらかじめ乾いたふきんで水気を拭き取っておく。
  4. それが出来たら、容器(鮨桶など)の中をカラカラに乾かしておいて、隙間のないように鮨を詰め、押蓋をかぶせた上から重し(漬物石など)を載せる。
  5. 夜漬けたら翌朝あたりからたべることができ、その日が最も美味だが、二~三日は食べられる。食べる時に蓼酢(たです)をつけるとおいしい。

(※原文は末尾に掲載)

文献

次に、谷崎の柿の葉鮨を実際に再現した上で詳しく述べている文献を紹介しましょう。

四方田犬彦『ラブレーの子供たち』(新潮社、2005年) 所収「谷崎潤一郎の柿の葉鮨」
 →レシピに基づいて著者自身が調理。

上野誠「谷崎潤一郎先生の柿の葉鮨談義」 『芸術新潮』2015年12月号特集「谷崎潤一郎の女・食・住」
 →柿の葉鮨の老舗平宗(ひらそう)に依頼。ご主人の平井宗助氏と、「平宗別館 倭膳たまゆら」料理長の盛田慎吾氏が調理。

疑問その1. 鮨なのに酢を入れないの?

このレシピでは、炊き上がったご飯に酢も砂糖も入れず、酒を加えるだけ。
谷崎が紹介しているのは発酵させるタイプの古い製法なので、酢は必要ないのです。
しかし、これは上野氏が指摘していることですが、その製法ならば本来は熟(な)れ鮨のように時間をかけて発酵させるはずなのですが、「陰翳礼讃」では一夜漬けと書かれているのがやや気になります。
そういう製法と食べ方の組み合わせを、谷崎は吉野の人から教わったということなのでしょう。

疑問その2. 乾いた手で握ったら手に米粒がついてしまうのでは?

「水気のない乾いた手で、塩だけで握るのがコツ」と谷崎は書いていますが、普通にやると手が米粒だらけになってしまいます。よほど塩まみれにする必要がありそうです。

疑問その3. どのくらいの分量ができるの?

米1升=10合=1.5kgですから、ご飯20膳分くらい炊けます。
昔の大所帯で数日かけて消費するための分量であり、今時の標準的な家庭には多過ぎますね。
実際に作ってみる場合は分量を加減した方がよいかもしれません。

疑問その4. "蓼の葉で酢をふりかける"とは?

これは、蓼(たで)の葉に酢をくぐらせて振りかけるという意味でしょう。蓼のピリッとした風味がほのかに酢に移るのでしょうね。鮎の塩焼きにかける蓼酢というものがありますが、こちらは蓼をすりつぶすのでそういう意味ではなさそうです。
ただいずれにせよ、吉野の伝統的な柿の葉鮨では「蓼の葉で酢をふりかける」という食べ方はしないので、これは谷崎独自の食べ方だと思われます。

疑問その5. 結局、どんな味がするの?

「素朴といえば素朴、うま味がないといえばうま味がない。えっこれが……という味だった(平井さん、ごめんなさい)」
「酢飯ではないため、鮭のお握りに近いような味」

と、上野氏/芸術新潮編集部は結構率直に、辛口なことを書いていますね。
しかし酢飯の鮨が主流となった現代では、そう感じるのも当然です。
そもそも柿の葉鮨というのは、吉野の山奥に運ばれてくる塩漬けの鮭が、そのままだとしょっぱすぎるため、薄く削いでご飯の上にのせて食べるようになったのが起源です。
そんな素朴な郷土料理であったことを考えれば、「鮭のお握り」というのはあながち的外れな感想ではないでしょう。

そして四方田氏は、

「柿の葉鮨の単純にして素朴な風味は、谷崎が好んで描いてきた、重厚で粘液質をもった食物の宇宙のなかで、珍しくも清涼感に満ちた例外であるように思われる。まだ冷房装置もなかった酷い夏を、47歳の小説家はこの鮨を食べながら過ごし、遠い中世に思いを寄せていたのだろう」

と、その素朴さがあくどく濃厚な谷崎グルメの中ですがすがしい異彩を放っていること、谷崎が柿の葉鮨の中に、今はもう失われた吉野の「中世」を見出していたであろう、と指摘しています。

谷崎にとって柿の葉鮨とは「制約の中での生活美」の象徴であり、ひいては、彼の理想とする日本の美しさを象徴する風物の一つであったのかもしれません。

(以下に「陰翳礼讃」からの引用を載せておきます。改行がないため読みにくいかもしれませんが、原文通りですのであしからず…)

原文「陰翳礼讃」(昭和8年)より抜粋

先だっても新聞記者が来て何か変った旨い料理の話をしろと云うから、吉野の山間僻地の人が食べる柿の葉鮨と云うものの製法を語った。ついでにこゝで披露しておくが、米一升に付酒一合の割りで飯を焚く。酒は釜が噴いて来た時に入れる。さて飯がムレたら完全に冷えるまで冷ました後に手に塩をつけて固く握る。この際手に少しでも水気があってはいけない。塩ばかりで握るのが秘訣だ。それから別に鮭のアラマキを薄く切り、それを飯の上に載せて、その上から柿の葉の表を内側にして包む。柿の葉も鮭もあらかじめ乾いたふきんで十分に水気を拭き取っておく。それが出来たら、鮨桶でも飯櫃でもいゝ、中をカラカラに乾かしておいて、小口から隙間のないように鮨を詰め、押蓋《おしぶた》を置いて漬物石ぐらいな重石《おもし》を載せる。今夜漬けたら翌朝あたりからたべることが出来、その日一日が最も美味で、二三日は食べられる。食べる時にちょっと蓼の葉で酢を振りかけるのである。吉野へ遊びに行った友人があまり旨いので作り方を教わって来て伝授してくれたのだが、柿の木とアラマキさえあれば何処でも拵えられる。水気を絶対になくすることと飯を完全に冷ますことさえ忘れなければいゝので、試しに家で作ってみると、なるほどうまい。鮭の脂と塩気とがいゝ塩梅に飯に滲み込んで、鮭は却って生身《なまみ》のように柔かくなっている工合が何とも云えない。東京の握り鮨とは格別な味で、私などにはこの方が口に合うので、今年の夏はこればかり食べて暮らした。それにつけてもこんな塩鮭の食べかたもあったのかと、物資に乏しい山家の人の発明に感心したが、そう云ういろ/\の郷土の料理を聞いてみると、現代では都会の人より田舎の人の味覚の方がよっぽど確かで、或る意味でわれ/\の想像も及ばぬ贅沢をしている。

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